旦那と二人でゆずのライブ&村上春樹氏の発言について

良いライブでした~
旦那も意外に楽しんでくれたみたい!

東日本大震災をうけて急遽プログラムを変更したとのことで、徹頭徹尾がんばれ日本がテーマのライブとなっておりました。
歌われた曲は全て震災以前に作られた曲なのに、今聞くと全てが震災後の感情にぴったりとフィットする。
とくに「hey和」は最たるものでしょう。
「hey和」はまるで震災後に作られたのかのように、311とリンクしている。
それはちょうど「栄光への架橋」をオリンピック画面をバックに聴くと、オリンピックに完全にリンクしてしまうのと同じ現象です。
歌の社会化とでもいいましょうか。
ゆずってそういうご縁のある歌手なんだろうなぁと思います。

ところで関係ないですが、村上春樹さんのスピーチ
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110614dde018040055000c.html

初めて読みましたが、だいたい同意です。
村上氏独自の見解というよりは、多くの日本人が今感じていることを言葉にしたようなものじゃないでしょうか。

ただ原発震災は日本人全てが加害者、という言葉はひっかかりますが、これは言葉の選び方が悪いですね。
一億総懺悔は、責任の置き所があいまいになり、誰も責任を取らずに全てがうやむやになり、結局は問題が解決されず先送りになる。

日本人の中にいる、被害者と加害者ははっきり分けるべきだと思います。
はっきり分けなければ戦えない。
戦わなければ時代は変わらない

たとえば、現在、「風評」という言葉によって消費者と農家という共に被害者である存在を敵味方にしようと画策する動きがあります。
こういうのに乗っかったら駄目ですね。
消費者も農家も、食べ物を放射能汚染させられた被害者なんです。
被害者同士が争ってはいけない。
敵を見誤ってはいけない。


と話がずれましたが

この「加害者」という言葉はさておき、言っている内容は納得できます。

原爆落とされた国が原発なんて作っちゃいけなかったんだよ、っていうこと

多くの日本人があんなに放射能で苦しんだじゃない、世界中の誰より原子力の怖さを知っていたはずじゃない、っていうこと

日本の原発の罪は二つある

�地震大国に作ってしまったお粗末さ
�被曝国なのに作ってしまったという倫理的な問題

�に関してはもう、全ての原発推進派の言うことが無力化する説得力があると思います。
「うん、原発って便利だよね、馬力あるしね、便利だよね。
でも無理じゃん。無理なんだからもう、諦めるしかないじゃん」
っていう

�に関しては、「チェルノブイリのかけはし」で書かれていた内容があまりにも衝撃的でした。

http://www.kakehashi.or.jp/?p=2819

私が、チェルノブイリの方たちに最初に言われたのは
「あんたたち日本人はなんてことしてくれたんだ!ヒロシマの医者がきて助けてくれると思ったのに。甲状腺癌は放射能のせいじゃない、ヨード不足の風土病のせいだと言って、救援されなかったんだ!チェルノブイリ事故の前には甲状腺癌なんてなかったんだ!!!」
という地元の教師の、悔しさにまぎれた叫びでした。それは、子供達をむざむざと放射能にさらした取り返しのつかない数年間。
なんてことをしでかしたんだ。それはベラルーシ民族の未来を左右するほどの大罪。


日本のヒロシマの医師をベラルーシの人たちはいまだに恨み憎んでいる。

原発推進のために、被曝の被害に蓋をし見殺しにする。
「ヒロシマ」という看板は、そんなことのために使われてしまった。

「日本人として恥ずかしい」という感情すら通り越してしまう、あまりにも重い罪です
日本はいつのまにか、こんな重い十字架を背負っていた




ところでいままで反原発はサヨクとみなされてきたようですが、それってなんでなんだろう

原発を持つ
=核を持つ
=核兵器に転用可能
=日本が核兵器を持つ可能性
=日本が軍事的に強くなる可能性
=また日本が軍国化して周辺国に戦争を仕掛ける可能性


日本は原発持つな!!


そういう発想でもって反原発運動を行っていた人がいるということなのかしら

でも大体の人は原発は危険だからやめよう、という主張ですよね

「危険だからやめよう」には右も左もないのになぁ
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