おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖

おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖

さくっと意訳すると

「おこがましいけど、つらい世の中で苦しんでいるみんなを、私が包みこんであげるんだ、この山で修行して仏の道を極めて」

百人一首のこの歌が気になってまして。
男女の恋歌も好きですが、こういうお坊さんらしい博愛系の社会派ソングもなかなかいいですよね百人一首は。

慈円さんというお坊さんは一体どんな人なのかしらーって思って調べてみた。
ああほんと私、学生の頃ちゃんと日本史勉強しておけばよかったなあ。

http://1000ya.isis.ne.jp/0624.html

道理の歴史観でもって「愚管抄」を書いた人。

そして

慈円は天台座主という仏教界の最高位にいた。
 のみならず慈円は摂関家に生まれた名門でもあった。それも白河院から鳥羽院におよぶ三代の摂政関白を17年にわたって維持しつづけた“法性寺殿”こと関白藤原忠通の53歳のときの子であって、13人にのぼる兄弟には近衛基実や九条兼実など、その後に関白になっている者がずらり揃っていた。当時の日本社会の最高の地位にいた一門の者だったのである。


というわけで、日本の権力者だった人。今で言う所の政治家、官僚的な立場の人ではないでしょうか。

そう言う立場で、こういう歌を詠んだ人なんだ、ってのがなんか胸がきゅんときました(笑)
この歌を詠んだのは、二十代のうら若い僧侶だった頃のようですが。

今の政治家、権力者の座に登り詰めた人、そういう人で慈円のような理想を抱いている人、少なくとも若い頃は理想に燃えていた人、もきっといるんでしょう。

頑張って欲しいです。
理想通にはいかない難しい世の中だけれど、政治家が理想を忘れてしまったらもう日本はおしまいだから。
忘れちゃいけない、初心として、政治家の皆さんの心の根っこに、この和歌のような気持ちがあらまほし

当然に日本の社会の中心におこったことを「上から見た記述」にしたと想定されるのだが、そうではなかった。
 たしかに慈円の立場は情報のすべてを入手するに最も有利な地位にあったのだけれど、慈円はそれらの情報を摂関家のためにも、自分自身のためにも、また仏教や比叡山の立場のためにも、まったく“利用”しなかった。改竄もしていない。あくまで「道理」が見えてくるようにと、これらの情報を史実をあきらかにするためにのみ使って記述した。


読んでみたくなりました、愚管抄
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