とりあえず「偽善」とか「偽善者」って批判しとけばいいや。

wikipediaの「偽善」の説明がけっこう面白い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E5%96%84

ネット見てるとなんでもかんでも「偽善」って言う人が多くて、なんか腑に落ちないものを感じていたのですが、wikiで様々な「偽善」を分かりやすくまとめてあります。

自己批判的な「偽善」は置いておくとして、他者への批判としての「偽善」を取り上げてみます。
wikiでは以下の四つに分けていますね。青字が引用です。

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【1】外面的には善と見せかけているが、その他者の内面の悪を見抜いてしまっている

前者の場合、他者の内面というのは外から簡単に分かるものではないから、その他者の中に悪を推定するだけで、善行に対して猜疑心を向けているに過ぎない事も多い。


自分に妙に親切にしてくる人に対して、「何か裏があるんじゃないか?」と警戒を抱くような場合がこれに当たるのでしょう。

<例>
「●●君って優しい人ね、私の愚痴をなんでも聞いてくれるの」
「それは偽善だね」
「え、どういうこと!?」

●●君はただヤリたい一心なのかもしれない。
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【2】善行に対する思慮の浅さを指摘する場合がある。

後者の場合、善行自体があまりよい結果を生み出さなかったことを指摘していることがあり、そうした場合は謙虚に受け止め、思慮の浅さを反省すべきである。


よかれと思ってしたことが裏目に出ることもあります。

<例>
・ゆとり教育
・沖縄のハブ狩りのためにマングースを放したら、ハブをまったく駆らず貴重な野生動物を食い荒らしてしまった
・被災地に古着/千羽鶴等を送ったけどむしろ迷惑だった

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【3】 目立つところでは善い事を言ったり行ったりしていても、目立たないところでは悪事を行い、表面上の善を無にして余りあるような害悪をばらまいているような場合である。

こうした時には表面上の善はいわゆる「きれいごと」であり、むしろ社会的に善行として評価されることなどによる自己利益が企図されていることもある。このとき「偽善者」という批判は、隠蔽された悪事を暴露して問題の本質を明らかにする。


悪人が自分の悪をカモフラージュするためのアピール的偽善って奴でしょうか。

<例>
・社長が逮捕された会社が急にホームページで社会貢献してますアピールをし始めた
・クリーンなイメージのあるあの政治家、実は裏では大変なことを

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【4】 人に先駆けて行う事を臆するあまり、結局は何も出来ないでいる者たちが、目立った行いをする者を「偽善者」だと嘲笑する(似非ニヒリズム)。

ボランティア活動などは常にこうした困難に直面する


私がこの記事の最初で書いた、ネットでよく見るなんかもやもやする「偽善発言」ってこれですね。
いわば偽悪とでもいいますか。

「イイコトに偽善者とか言えちゃう俺かっこいい」的な。

なんちゃって不良。クチだけヤンキー。
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うーんしかしwikiのこの四つの分類もちょっとまだ甘いというか、もうちょっと色々分けられそうな気もするし、そもそも偽善という言葉があれもこれも、と幅広く使われすぎているという、言葉の問題、つまりは誤用の問題もあるんじゃないかなあという気もします。
【2】を偽善と呼ぶのはちょっと変な感じもするし。

あ、こんなのも。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%81%BD%E5%96%84

こっちは特に分類せずに、偽善と言われやすい行為を列挙していますね。
いっぱいあるなあ(笑)

しかし偽善について考えれば考える程、偽善という言葉に疑問を抱いてしまいます。
だってそもそも、偽善の対になるような「善」って存在するんだろうか。
全ての善は偽善なんじゃないだろうか、どうせ全部偽善なんだから、わざわざ偽善って呼ばずに普通に「善」って呼んであげても良いのではないか。

偽善という言葉がこれほど広範かつ頻繁に使われるということはすなわち、人々の「善」への神聖視が根本にあるのでしょう。

善とは何か?

よくわからないがそれはきっと、神聖で純粋でケガレなきものなのだろう。

人間なんぞの心にそんなケガレなきものが宿るのだろうか?という疑念。

善というものをあまりにも神聖視し過ぎている故に生じる疑念からくる、偽善という言葉の連呼。

きっとみんな、善がなんだかなんてよく分かっていないんだ。
よく分かんないけどものすごい神聖視してしまっている。

まさに偶像。

善も困っていると思う。そんな特別視されても困るし、結構普通だよ自分。って。

だって人間なんかに宿るものだもの、ケガレてないわけないじゃんって思います。

でも善は存在しないわけじゃない。ちゃんとある。ケガレた善がちゃんとある。

それでいいじゃない?

ケガレた善で何が悪いの?

ただもちろん、ケガレには強弱があるけれど。

ここに、あるボランティア活動をしている人々がいる。このうち二人の心のうちをのぞいてみた。

(例1)
この人は実は殺人鬼。
殺人鬼が自分に嫌疑がかからないように、地元でボランティア活動に精を出し「良い人」という評判を得ている。
この場合、「ボランティア活動」という「善行」に付随するケガレは「実は殺人鬼」です。

(例2)
この人にとってボランティア活動は快感です。
社会的弱者を見ると義憤を感じざるを得ない気質を持ったとても真面目な人で、ボランティア活動に精を出すと幸せな気分になります。
この場合、「ボランティア活動」という「善行」に付随するケガレは「自己満足のためにやっている」です。

1と2を比べたら1のケガレのほうがより汚いとみなせるでしょう。
でもどっちも同じことをやっているんですよ。裏にどんな事情があるにせよ、二人ともまったく同じことをしているんです。
じゃあどちらも偽善と呼んじゃえばいいか。
付随するケガレに強弱があるのに?
強弱があるのにも関わらず「偽善」って一つの単語しかないのもちょっと問題があるかもしれない。
でもどうやって、線引きしようか。

これ以上のケガレは偽善。このくらいなら善かな。って、誰が何を基準にどうやって線引きしようか。

うーん

いっそのこと。
偽善と呼べるのは、その行為が誰にも恩恵をもたらさない場合のみにする。
つまり、明らかに悪である場合。
簡単に言うと「詐欺行為」

「あなたのお金を狙っている人がいます!危険なので私が安全な場所に保管しておいてあげましょう、だから私にお金を預けて下さい」と、善い人のふりをして、お金を持ってとんずらとか。

こういう行為だけを偽善、って呼ぶ事にしたら、結構すっきりするのではないかな。

あーでも、それは「詐欺」であって「偽善」ではない、っていう人も出て来るかなあ。。。


お。

もっといっそのこと。

偽善って言葉はいらない!!!(言葉狩りオチ)
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